自分が苦手だなと思っていることのひとつに状況を思い浮かべる、というものがある。無機質な図でも、景色とかを描いた絵でも。例えば、「スーツを着た男性が目立つ色のスマートフォンを耳にあてながら駅のホームを歩いている」という文章から、その光景を脳内に思い浮かべることが苦手だ。そして、こういうことが得意になりたいなと思っている。
自分が賢いと思う人と話をしていると、たいていその人は言葉じゃなく絵(図)で伝えようとする。会話の内容や自身が伝えたいことが「見えて」いるのだ。大抵の場合出来上がった絵を見せられると「あぁ確かに」とわたしも納得をする。しかし、自分がその絵を描けるか、と考えると、きっとかけないと思うことが多い。
「原点を中心とする半径2の円に、点(2, 0)を接点とする接線がある」という文章を読んで即座に図にしたり頭に思い浮かべたりすることくらいならわたしにもできる。「図を描いてくれ」と言わんばかりのシチュエーションだからだ。しかし、たとえば「n次の数ベクトルxに対角成分が0のn次の実対称行列Aをかけたとき」という文章からどんな線形変換がおきるのかをイメージするのが、パッとはできない(いま1分くらい考えた)。n=2とか書いてくれないと思考停止してしまう(本当に数学科出身か?)
常に何を考えるにしても頭の中に(文字やことばではなく)図や絵、視覚に訴えるものでイメージをしたり、考えたり、こねくり回したりできる人が、なんやかんや言って強いなと感じる。数学をしていてもプログラミングをしていても思う。
他の人がどうなのかわからないが、わたしの場合は自分の中に確固としたイメージのあるものじゃないと、適切な図にできない。というかわかっているはずのことも図にならない。描こうとして初めて、自分がわかっていないことに気づくのだ。
ことばなどの削ぎ落とされた情報から、図や絵といった二次元の、あるいは3次元的な情報を復元する、というのは(単純に考えれば情報の拡充なので)時間がかかる。こうしたことを、リアルタイムの会話での遅延が発生しない程度の素早さでできるようになれたらな、なんて思っている。
自分がよく考えている対象ならできることもあるのだけど、基本できない。それがなんとなく、情けないなあと思う。