見えない支え

515hikaru
2 min readJan 24, 2018

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僕は、自慢じゃないが多くの人に支えられて生きて、多くの人に支えられて仕事をしている。とても自分一人で生きているとか言えない。これは私生活や子供のころとかはもちろんのこと、いまの仕事でもそうだ。すなわちソフトウェアエンジニアとして、多くの先駆者たちの支えの中で僕は生きている。

初めてMacを手に入れたとき、ググって言われるがままに Homebrew をインストールした。よくわかっていなくて当時の僕にはうまく使いこなせなかったが、この時点でかなりの数の「善意」に支えられていた。Homebrew は OSS であり無償で使用できる。その意味が、僕にはまだ分かっていなかった。

OS Xをやめ、 Ubuntu や Fedora や Arch Linux といったディストリビューションあさりをした。これらはすべて、無料だ。この意味も、当時の僕にはあまりわかっていなかった。

C言語の講義を受けた、Rubyを使い始めた。LaTeXで卒論を書いた。そして、Pythonを書く仕事を始めた。これらの過程で僕はだんだんわかってきた。今の僕がプログラミングを自由に勉強できるのは、ものづくりができるのは、多くの開発者たちのコミュニティ、いうなれば開発者たちの善意に支えられているということに。

僕は毎日 Ubuntu がインストールされているデスクトップPCの前に座り、PyCharm(Community Edition)を開いてPythonを書いている。言うなれば、先駆者、あるいは現役で開発をしている開発者の方々の善意に支えられて、僕の仕事が初めて成り立つ。

善意に支えられたソフトウェアを用いて、僕らは商品となるソフトウェアを開発しお金を稼ぐ。そしてソフトウェアを開発するためのソフトウェア(フレームワーク)もOSSのものを使用する。

この事実を、僕は当然とは思わない。

ともすれば忘れてしまいがちだけれど、開発者たちのコミュニティに支えられて僕の仕事は成り立っている。そして、僕はそのコミュニティにあまりコミットできていない自覚もある。

それでも、いや、それだからこそ。

都合のいいときだけ、コミュニティに頼ろうとする浅はかさ、傲慢さを。

開発者の端くれとして、僕が許すわけにはいかない。

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