Detroit: Become Human — アンドロイドは清教徒革命の夢を見るか?

いつだったか、ヨドバシカメラのゲーム売り場を歩いていて、でかいディスプレイにトレイラーが放送され続けていた。発売前のゲームに興味を示すことなんてほとんどないのだけど、そこに映っていた美麗なグラフィック、そしてイマとミライが中途半端に交差しているその世界観に魅了され、ゲームシステムさえ知らないまま購入した。2018年5月発売、「Detroit: Become Human」である。

操作は結構シンプルだ。アクションを起こせるモノに対して右スティックやボタンでアクションを起こす。戦闘シーンなどのイベントシーンではタイミングよくボタンを押したり、連打したり、コントローラーを振ったりといったアクションがあるが、あまり難しい要素はない。

このゲームの一番の特徴はユーザーがキャラクターの行動を選択したり、あるいは時間の都合で調べなかったりアイテムの取得漏れが起こることで物語が変化するところだ。つまり、ユーザーが自分の意志で2038年(20年後)のデトロイトという街を変えていくことができる。

また、主人公が3人いて、ある主人公での行動が別の主人公の行動に影響を及ぼすこともある。絶体絶命都市2のシステムをもっと豪華にしたようなものだ(筆者は絶体絶命都市シリーズが好きなのだ)。

わたしは初見の1週をほぼほぼ攻略サイトなども見ないでやった(わからなくて見た部分もあるにはあるが、時間制限を突破できなくて諦めて自分の望まないルートに行った)。その状態でいまはこの記事を書いている。だから、わたしが紡いだ物語は、わたしの意志で選んだ部分と、わたしの能力不足で明かしきれていない部分がある。

だが、1週してひとまず書きたいことは書き散らかしておこうと思ったのでここに書く次第だ。

わたしがコンシューマーゲームにもとめているものは「物語を体験すること」だ。以前 NieR:Automata や ゼルダの伝説 BotW などをプレイしたときから書いていることだが、映画(をみること)や音楽(を聞くこと)と違い、ゲームをすることにはユーザーとのインタラクションがある。例えばニーアの場合はどんどんアンドロイドと機械生命体の謎に迫る過程を追体験させられる(二度と体験したくない)し、 BotW ではハイラルという場所とゼルダ姫を救うという使命だけが与えられ、そこに至る過程の物語は「自ら紡ぐ」ものだ。

そう、この Detroit もユーザーが物語を紡ぐゲームであり、ユーザーに3体のアンドロイドの使命を、苦しみを、戦いを体験させるものなのだ。アンドロイドに清教徒革命の夢を見せるのも、民主主義的交渉を打ち出すのも、はたまた、そもそも表舞台に立たないのもユーザーの意志次第なのだ。

1週通してみたところ、時に自らの身を守るためとはいえ無為な犠牲を払い、救うべき人を救えず、革命は最後の最後で頓挫した。それがわたしが初見で紡いた「物語」だ。この経験はわたしの中に蓄積された。

理性では「答えを知りたい」と思っているのに答えを知るための選択肢を選べなかった。所詮ゲームなのに、感情移入し、没頭していた。大きな決断を迫られたときは葛藤もした。自分ならどうするか、未来の人類のためには何をするべきなのだろうか、と。

それがわたしが出した答えであり、わたしが紡いだ物語だ。

あぁ、なんと楽しいのだろう。

美麗なグラフィック、こだわった世界観は言うまでもない。エリアも、腐臭の漂う部屋、画家の豪邸から風俗店まで。その世界に存在する何もかもが面白いし、物語を引き立ててくれる。

このゲームは面白いが、悩んで、決断して、とても疲れる。時に命を左右する判断を10秒とかでしないといけない。そして自分の選択に時に絶望し、時に歓喜する。でもそれが人生だったりもする。

どうか、1回、やってみてほしい。そして、アンドロイドにあなたが描く夢を見せて、できれば叶えてやってほしい。

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自分語り専用ブログをやっていく。

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